本日も桜が綺麗

イマジナリー・任意の文字列

四捨五入して30になる年に考えてはいけないこと

仕事に行けない。

なんでだろう。仕事が辛いとか、理不尽とか、そういうことはない。

ただ朝起きると、もう何日も洗ってない布団の匂いを全身に浴び、テーブルに放置された酒瓶と洗ってない皿や読む余裕を持てなくて積まれている本の数々を見つめながら、指摘された大量のコメントを思い出して情けない気持ちになったり、成功者となっている平行世界の自分が脳裏をかすめて胃の奥の奥までグルグルしてどうしようもなくなり、登録しておいた自動送信欠勤メールを止めることも出来ず、またベッドに汗とも涙ともつかない液体が染み込んでいく。

「雨が降ってるから買い物行くのやめよう」程度の気持ちで会社を休んでしまっているのは、いくら出来の悪い自分でも考えられない。明らかに異常だ。

このままじゃだめだというのはわかる。1度だけなら情状酌量もあるが、2度目は全てを失うよなあ。わかってるのに仕事に行けない。

ああ、休んでしまった。でも、俺の人生だ破滅するまで好きに人生を歩ませてもらうぜというか弱い自我は、家族や親友達への罪悪感と、実体のない世間からの視線に圧殺される。自己を客観で構築してきたくせに、覗けないはずの他人の心情は主観でつくっちゃうんだよなあ。メンヘラだから全て負の方向で。

だから人に質問もできないし、相談もできない。でも、後押ししてもらわないと動けない。そんな矛盾した存在と化してしまった。

自身を全て主観で構築したい。それだけの背景をもつ人間になりたい。そう思っている。でも仕事に行けない。

この文章は泥酔状態で書いております

考えるのは好きだ。こういう稚拙な文章も。

しかしどうにも仕事には結びつかないというか、結びつけたくないというか、自分の考える事まで支配されてるという感覚が気に入らないし、受け付けないというか。あらゆる他人からの干渉が怖い。自身を主観で構築したいと思っている自分が、より上位の存在に酔って全て客観に書き換えられる感覚。

仮に避けることが出来てもそれはアドバイスや指示と呼ばれるものであるから、それすら恐れてしまう自分には、社会から不適合者の烙印が押されて、まだ主観になれない自分は、より強い客観で塗りつぶされる。

わけわからなくなってきた。

これから本当に好きに生きてみようと思うんだけど、将来を見据えてないし客観的にみてアホな選択なので、周囲を説き伏せる理由がうまく思いつかない。明日も仕事を休んで考えようかな。

人間は悪い客観に染まると、主観に染まろうとして暴走する。これは教訓です。反面教師です。

はい。おわり。